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高松高等裁判所 昭和31年(ラ)34号 決定

抗告人 合田妙子

相手方 元木富市

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人は原審判を取消す相手方は抗告人に対し審判申立の当月から抗告人が満二十年に達するまで一ケ月金三千円の割合による金員を支払えとの決定を求めた。

抗告人主張の抗告理由は別紙抗告理由書記載の通りである。

抗告人の抗告理由の要旨は抗告人は抗告人の親権者母合田マサミと相手方との間に生れた未成年の子であるが毎月金四千円の扶養料を必要とする。抗告人の母は親権者にして、相手方は親権者ではないけれども、親権者たる母又は父が親権者に非ざる父又は母より先順位の扶養義務を負う謂れはなく、両者は共に同順位において未成年の子に対する扶養義務を負うものと謂うべきである。従つて抗告人の母に扶養能力があると否とに拘らず相手方は抗告人に対し申立趣旨通りの扶養料を支払うべきであると謂うに在る。

仍て按ずるに民法上の扶養義務は(一)婚姻法上の扶養義務(民法第七五二条)並親子法上の扶養義務(同法第八二〇条)換言すれば婚姻上の協同生活の義務並親の未成熟の子に対する養育義務と(二)狭義の親族法上及家族法上の義務即ち一般扶養義務(同法第八七七条以下)の二つの異種の扶養義務を含むと解せられている。夫婦が相互に協同して生活を保障し合うことは婚姻関係窮極の地盤であり、又親が未成熟の子を養うのは、その子の生活を自己の生活の一部として維持する事で、それは親子関係の根本基調であつて、夫婦親子として協同の家族生活を営むことは社会生活において、最も自然発生的な基盤をなすものである。即ちこれを前提とした所謂生活保持の義務は前者に属するものである。之に反し成年の子と親、兄弟姉妹、おじ、おばとおい、めいとの間等においては、一方が生活不能になつたときにのみ、他方に、之れを外部から扶ける義務を負わしたのである。之れが所謂生活扶助の義務であつて、生活保持の義務に対するものである。

一般扶養義務は相互的であり且その態容において引取扶養と生活費の支給を目的とする経済上の義務を負うにとどまる場合の二種を含む点において、親権者から子に対する一方的にして、且専ら監護教育を目的とする親権者の義務と異つている。

又一般扶養義務とその費用負担義務は常に一致するけれども夫婦親子間の生活保持の義務と協同生活費の負担義務とは必ずしも一致するものとは限らない。協同生活費の負担は夫婦間においては原則として婚姻費用分担主義により両者の分担となるも、夫婦財産契約において婚姻費用の負担につき特段の定をなせば先ずこれに準つて決せられ、親子間においても、子が財産を所有する場合には先ず、之を以て子の生活費に充当せられることになる。(民法第八二八条但書参照)従つて扶養義務の帰属者と扶養に要する費用負担者とは必ずしも一致するものとはいえない。そこで未成年の子に対する親権者の監護教育義務と、親としての一般扶養義務とは競合するのが通常であるけれども、右両者はその根拠と態容を異にすること前叙の通りであるところより、右両者は如何なる場合にも常に競合するものなりや否やを検討する。夫婦親子間の生活保持の義務は夫婦親子の協同生活を前提とするものであり、未成年の子に対する親権者の監護教育義務も亦親子の協同生活を前提とするものであつて、両者は夫婦親子の正常な協同生活における本質的不可欠的な要素である。ところが両親夫婦が離婚したような場合には夫婦親子協同生活の基礎を失い未成年の子の監護教育其の他財産管理の必要上、父又は母の何れか一方のみを親権者と指定する必要が生ずるものである。即ち親権者たる父又は母は依然子との協同生活を前提としてその本来の機能を維持する必要が存続するけれども、親権者に非ざる父又は母は既に、右前提を失いその社会生活上扶養の要請も亦前者に比しより薄弱になつたものというべきである。この関係は恰も婚外子の場合に父又は母の一方が親権者となつた場合と同様である。従つて親権者に非ざる父又は母は広く親権上の機能と同時に生活保持上の機能をも喪失し、右は単なる親族扶養の義務者たるにとどまり生活保持の義務を免れるものと解するを相当とする。

叙上説示によつて、民法上は扶養義務の順位につき明文の規定を存しないけれども、理論上親権に服する未成年の子の扶養につき義務者数人ある場合には先ず、親権者たる父又は母において扶養を尽すべきであり、その後なお生活費等に事欠くに至つた時に始めて親族扶養の義務者たる親権者に非ざる父又は母其の他の者に対しその扶養を求めうるものと解するを相当とする。

本件について之を観るに、記録添付の昭和三十一年四月二十七日受付徳島県三好郡辻町西井川小学校長上林道雄の回答書及原審における合田マサミに対する審訊の結果の一部、同相手方元木富市に対する審訊の結果を綜合すれば抗告人の親権者母合田マサミは現在辻町西井川小学校に勤務し、一ケ月平均金一万三千円の収入を得ているものにして、差当り現在においては抗告人を扶養する能力があると認めるを相当とすべく、右資料(但し後記措信しない部分を除く)その他によるも昭和三〇年四月六日合田マサミが相手方と協議離婚をした際、相手方において扶養料を負担することに定めて親権者を合田マサミに指定したような事情も認められず又右離婚後現在に至るまで特に事情の変更があつたものとは認め難く、抗告人は親権者である合田マサミに引続き扶養監護を受けていることが認められる。前示合田マサミに対する審訊の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に之を左右するに足る資料はない。かように親権者の扶養を受けている未成年者は、その親権者が経済上扶養能力を失つたとか、扶養監護に不適当な家庭の事情が生じたような場合は別として、親権者の手により扶養せられている限り、親権者に非ざる他の親に対し扶養の請求をすることができないことは前説示によつて明白なところである。

仍て抗告人の本件扶養の申立は理由がないから之を却下すべきものとし、右と同一帰結に出た原審判は正当にして本件抗告は理由がないから之を棄却すべく民事訴訟法第四一四条第三八四条第八九条第九五条を適用して主文のように決定する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

抗告理由

(1)  本件扶養申立の理由は原審判掲記の申立人の申立理由並びに審判申立書記載の通りである。

(2)  但し申立人は毎月四、〇〇〇円の扶養料を要するが一切の事情を考えその内三、〇〇〇円を相手方より支払を求めるもので相手方のみに全扶養料の負担を求めているのではないが原審判は此の点についての判断をしていない。

(3)  単に申立人代理人母マサミが親権者であるから第一順位の扶養義務者であるし扶養の資力があるから申立は不当であるとするにすぎない。

(4)  けれども親権を行使する者は子の監護の義務がある事は当然であるが、監護の義務は当然には扶養上の諸経費支払義務者ではない。

(5)  すべて父母はその親権を行使すると否とに拘わらず、扶養義務者である。親権を行使する父又は母が第一順位の扶養義務者で親権を行使しない父又は母が後順位の扶養義務者であるとの法律規定は見当らない。原審判はそれを当然の事としているのは誤解である。何となれば親権と扶養義務とはそれぞれの基く法規の根拠が相違している事によつて明らかである。扶養義務者が定つている場合、親権者の監護権が失われ、又親権者の監護権がある場合、扶養義務者の責任はないと云うが如き事は、実際生活上の需要から云うても法規の解釈上から云うても考えられるべき筋合のものではない。

(6)  これ故に扶養義務者数人ある場合の順位は当事者の協議でなければ裁判所の審判できめられるべきであるのをこれ等の法規を無視して当然母マサミが親権者だから第一順位の扶養義務者であるとしたる審判は誤りである事明白と云うべきだ。

(7)  扶養義務についてはその順位をきめる事も、その程度方法についてきめる事も当事者の協議が出来ない場合は、裁判所がきめる事になるが順位をきめるに当つて親権を行使する父又は母のみを第一順位にしなければならぬ事はないし、父母の双方をして夫々の資力に応じて何れも第一順位の扶養義務者とし扶養の程度方法をきめる事も裁判所のなすべき事である。申立人はこの事を審判して貰うべく申立てているのである。

(8)  裁判所が順位をきめるには誰か一人を第一順位とせずに数人の者が金を出しあつて扶養すべき者を命ずる事の出来る事は云うまでもない事である。

申立人の求める所はここにある。母だけが子の扶養をするのでなく能力ある父にも其の責任を負うて貰う事は親子間の愛情の上から云うても期待してよい事であるし、申立人の所謂正義公平の観念上からも社会道徳の信念から云うても当然の事である。

(9)  これを単に申立人母マサミの資力だけから云うて相手方父の資力如何と云う事は全然考慮に入れた形跡のない原審判は片手落であると云える。

相手方にも資力のある場合は父及び母の双方から扶養料を出しあう、それは単に正義公平の原則に合致するのみならず、親子間の愛情から云うても正当の事であると考えるので本申立をしたわけであるから、原審判は何処から考えてみても失当である。

(10) のみならず法律上男女平等待遇の原則はあるが、事実上女子はその幼児に対する愛情は父に劣るものではないに拘らず社会経済上の生活力に於て父に劣るのを寧ろさけ得られない現状の下においては、子の親権者とならんと欲する母は原則として第一順位の扶養義務者である事を当然とするなれば、母は愛情に於て、父に劣る事はないに拘らず経済資力乏しきため親権者となる事が困難となるわけで親権者とならんと欲する乏しき母のある事も考えると原審判の様な簡単な法解釈は出来るものではないと思う。

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